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西山茉希
Profile
西山茉希 1985年11月16日産まれ。新潟県長岡市出身。 2004年に銀座でスカウトされ、デビュー。女性ファッション誌「CanCam」の専属モデルを務め、多数のテレビ番組でタレントとして活躍。 2013年6月に結婚、10月に第一子の女児を出産。
2015-01-21
第1回 中学時代は生活のすべてをバレーボールに捧げていました

2005年に『CanCam』に登場し、彼女に憧れていない女の子はいないと言われるほどの大人気モデルとして注目を集めていた西山茉希さん。
そんな彼女も、2013年10月に第1子となる女の子を出産し、1児のママになりました。
今回は、ママ1歳を迎えた西山茉希さんがママスタのインタビューに登場!
たくさんお話を聞かせていただきます!

モデル・タレント・女優として活躍されている西山さんですが、小さい頃はどんなお子さんでしたか?

小さい頃は常にママの後ろに隠れてるような子でしたね。ママの知り合いに会っても、お買い物に行った先で顔なじみのお店の人が声をかけてくれても、ママの後ろに隠れながら、ニコニコだけはしているような子でした。すごく恥ずかしがり屋な子だったんです。でも、小学生になってからは、お友達と遊ぶのが好きになって鬼ごっこをしたり、近所の子達の先頭を切って外で遊ぶような性格に変化したんです。やんちゃとかおてんばとか言われるようになって、恥ずかしがり屋という部分がなくなったのも、その時期だったと思います。

それは、どんなきっかけで変化したんですか?

私は兄と弟がいて、従兄弟も男の子だらけなんです。小さい時から、男の子ばかりの中に、女の子は私だけという環境で生活をしていて、男の子達と遊んでいるなかで、そういう風に変わっていった気がします。
その男の子らしさとか、活発さが、小学校でも女の子の友達の中で発揮されたのかなぁ?と思っています。

そこからはずっと、みんなをひっぱっていくような性格ですか?

そうですね。やんちゃでおてんばで、怪我ばかりしていましたね。
おばあちゃんの家が本屋をやっていたんですけど、その本屋の中でローラースケートをして、転んで小指の骨を折ったことがあったんですけど、怒られると思って、そのことを黙ってたり(笑)
あとは、自転車で兄や弟とふざけて二人乗り、三人乗りとかをして、転んじゃって、顔の半分を擦りむいて、かさぶただらけにしちゃったこともあります。
その時はさすがに親に怒られましたね。「あなたは女の子なの!」って。
でも、お家で静かにしているようなタイプではなかったんです。

男の子と一緒になって遊んでいたということは、運動神経も良さそうですね。

元々は運動ができるタイプではなくて、私が運動に目覚めたのは、小学校5年生からなんです。
それまでは、すっごくよく食べる子で、ご飯もお菓子もいっぱい食べすぎてボンレスハムみたいな体型だったんですよ(笑)今、その頃の写真見るとびっくりしちゃうくらい。
そんなだから、運動会でも競争はビリばかりだったんです。でも、ビリなのにお客さんに向かって手を振るような子で、さっさと走ればいいのに、立ち止まってみんなに手を振ってたのも覚えていますね。
そんな感じで運動神経が良い方ではなかったけど、小学校5年生の時に、従兄弟のお兄ちゃん達に勧められてバレーボールを始めたんです。
それをきっかけに、スポーツ少年団のバレーチームに入って、そこから中学3年までバレーボールを続けたんです。

バレーボールを始めたことで、ぽっちゃり体型から卒業したんですか?

小学校時代のバレーボールは、ぽっちゃり体型でスタートしているから、一生懸命参加はしていたけど、なかなか上達はできなかったんです。なので、そんなに痩せることもなくて…(笑)
本格的に痩せたのは中学生になってからですね。
中学時代は生活のすべてをバレーボールに捧げて毎日激しいトレーニングをしていましたし、身長が伸びる時期でもあるので、あっという間に痩せましたね。

まさに、バレーボール1本!という中学生活だったんですね。

そうですね。そうじゃなきゃ許されなかったから、髪は刈り上げにしていたし、体操服とチームのダウンしか着ないような生活をしていましたね。しんどかったけど、自分の生活はバレーボールしかないと信じ切っていたから、中学=バレーボールという記憶しかないですね。

バレーボールの道を究めようと思ったことはなかったんですか?

私は、小学校5年生から5年間、バレーボールを続けたんですけど、高校に進学する時にやめたんです。
中学時代、県の選抜選手に選ばれたこともあるのですが、そこで全国大会のびりびりした雰囲気を感じたり、強豪チームの選手を見たりしたときに、「この先も続けるなら、本気でバレーボール一筋の人生を覚悟しないといけないな」と思いました!
選抜に選ばれた時も嬉しさよりも「この先が大変だ」と危機感を感じたんですよ。
選手としては嬉しいことのはずなのに、不安や危機感を感じた時に、自分はバレーボールを究めることはできないなと思ったんです。それであれば、続けるべきではないなと思いました。

あのスリムな体型は、バレーボールで鍛えて作られたものだったんですね!
モデルとしての西山さんからは想像できないスポーツに熱中していた頃のお話、とても興味深かったですね。
次回もお楽しみに!
(取材・文:上原かほり 撮影:chiai)

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