- Profile
宮川大輔 1972年生まれ。京都府出身。フジテレビ系バラエティ『人志松本のすべらない話』で知名度が上がり、バラエティやドラマなど幅広く活躍中。1997年に結婚。2010年に長男誕生。
- 2014-08-21
- 第5回 「産んでくれて、ありがとうな」って気持ちになるんですよね
結婚13年目にして、赤ちゃんを授かった宮川さんご夫婦。
妊娠が分かってから、パパとして変化していく宮川さんについて伺いました。
ママスタ連載コラム全8回のうちの第5回をお届けします。
- 奥さまが妊娠し、パパになると分かった時の気持ちを教えてください。
-
もちろん嬉しかったですね。
でも、自分が父親になるっていう実感はなかなか沸かないものなんですよね。
だんだんお腹が大きくなっていくのを見ていて、「あぁ、本当に親になったんだ…」みたいな気持ちになってきたり。
父親になったという実感が一番沸くのは、産まれてきて抱いたときじゃないですかね。
- 13年目の妊娠は、ご夫婦にとってベストなタイミングでしたか?
-
31歳くらいまでは食べていける状況でもなかったので、そういうことを具体的に考えることもなかったんですよね。
40歳に差しかかる直前に意識し始めて、「二人で過ごす生活と、子どもがいる生活ってどう変わるんだろうね」という話をしたり、仕事も順調になってきていたので、頑張ってみようかって話になったんです。
結婚式もした後だったので、そういうタイミングだったんでしょうね。
- 産まれてくるお子さんの性別に希望はありましたか?
-
どっちでもよかったんですけど、自分が長男なので、なんとなく男の子がいいかなというのはありましたね。
お腹にいる時から男の子っていうのは分かっていたので、楽しみでした。でも、女の子もかわいいだろうし、もう一人欲しいなとは思いますね。
洋服を買いに行くと、男の子の服っていいなぁと思うのがあんまりないっていうかね(笑)
女の子の服って、色合いとか「こういうかわいい服着せたいなぁ」って思うのがたくさんあるんですよね。見てるだけでも楽しいじゃないですか。僕、海外行って嫁と息子に服を買ってくることが多いんですよ。
嫁はあんま着てくれないんですけどね(笑)
海外でも、女の子のかわいい服っていっぱいあるんですよ。だから、娘がいたら買って帰りたいなぁと思うんです。
- お子さんが産まれてから、何か変化を感じますか?
-
子どもが産まれてから、本当の家族になれた気がしますね。
二人の時は、籍を入れていても恋人みたいな感じが続くじゃないですか。僕、宮川家の長男なので、子どもが産まれた時に宮川家のお墓参りに行ったんですよ。
僕のお母さんと嫁がお墓の草むしりをしているのを見て、「あぁ、この二人が宮川家を繋いでくれたんだな。残してくれたんだなぁ」って思ったら、本当にありがたく感じて、愛おしくなりましたね。普通に家族で出掛けている時でも、息子のこと見ていると「この子はなんで俺と嫁のところに来てくれたんだろう」とか思うんですよ。
「産まれてくれて、ありがとうな」と思うし、嫁には「産んでくれて、ありがとうな」って気持ちになるんですよね。年齢もあるんでしょうけど、若い時やったらそこまで思えなかったかもしれないとは思うんですけど、歳いってからの子どもなので、そういう気持ちになれるんだろうなとは思います。
- 妊娠中の奥さまにしてあげたことはありますか?
-
お腹に話しかけたりはしていましたけど、特別なことはないですね。
それよりも、どんどんお腹が大きくなっていく嫁を見ていてドキドキしてましたね。「本当に大丈夫なのかなぁ」って。
心配というか、「頼むぞぉ」という気持ちの方が大きかったので、声には出さずに、嫁のお腹に向かって、「元気で産まれてきてやぁ」とかはよく祈ってましたね(笑)男はそばにいても、何もできないじゃないですか。
女性は本当にすごいですよ。
- 立ち合い出産だったんですか?
-
いえ、「世界の果てまでイッテQ」で海外に行っている時に産まれたので、立ち会いは出来なかったんです。
海外から帰る前に「まだ大丈夫か?」ってメールしたら、「大丈夫だよ」って返事が来たから、「今から帰るからな」って送って電源切って飛行機に乗って、成田に到着して電源入れたら、「産まれたよ」って連絡が来てたんです。「えぇ!?」ってなったんですけど、成田まで嫁のお父さんが迎えに来てくれて、僕にビールを渡してくれて「おめでとう」って言ってくれました。
お父さんは運転があるからオレンジジュースで乾杯して、その時の車中もまた、涙、涙でしたね。
-
息子さんを産んでくれた奥さまを「愛おしいと感じる」と話してくださった宮川さん。
ご結婚17年でも、そんな気持ちでいてくれる旦那さんって素敵ですね。
次回は、出産についてのお話を伺っていきます。お楽しみに♪
(取材・文:上原かほり)